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東京高等裁判所 昭和28年(う)2955号 判決 1954年8月16日

控訴人 原審弁護人

被告人 依田さわ

弁護人 柳沼作己

検察官 大久保重太郎

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人柳沼作己作成名義の控訴趣意書記載の通りであるから之をここに引用し当裁判所は之に対し次の通り判断する。

第一、二点について

原判決挙示の証拠によれば原判示各事実は之を認めるに十分である。右証拠並びに原審証人山田良子、同青島佐喜子、同棚沢トキ、同時田むめ、同白石松子、同軍司一雄、同中村専太郎、同遠藤政次郎の原審公判における供述並びに当審における被告人の供述を総合すれば判示松本富江、岩崎八重子、窪田美智子、千本敏子、佐藤まつゑ、松岡房枝、川勝喜代子、田中はるゑ、黒沢文子、梶原久代は何れも芸奴であるがいわゆる自前芸者(自己が置屋を営業すると共に芸者であるか又は自宅から置屋を通じ又は通じないで営業する者)でなく、看板借芸者(置屋に籍をおき自宅から通う者)でもなく芸妓置屋に住み込み置屋より寝具、タンス、鏡台、衣裳等を借り受け或は前借し飲食物の供給を受け、料理屋貸席等よりの芸妓の注文は常に検番、置屋を通じて行われ所属置屋との話合により宴席に出向いて芸妓稼をしその対価たる玉代、祝儀等も検番、置屋を通じて支払われる等置屋に依存して芸者稼をなし、各芸妓は各置屋に対し置屋組合の申合せにより定められた定額の食費代、前記諸必要品の使用料、置屋の屋号の下に働くための名儀料その他芸妓稼のための諸般の便宜を受けることの謝礼等を含めたいわゆる看板料を毎月支払つている芸者であつて自力では資金がない為独立して芸者稼業ができず置屋の資金、設備、信用、得意先に依存しその置屋の名において置屋を通じてのみ稼業を営む者であること、又判示芸妓置屋の桜家こと山田良子、春日家こと青島佐喜子、明三升こと棚沢トキ、三升家こと田村道代、松桜家こと白石松子、梅初音こと時田むめ、竹の家こと岩崎有子はいわゆる芸妓置屋営業をしていたものであつて、その営業の実体は前記芸妓達をそれぞれ自家に居住せしめて前記の如く寝具、タンス、鏡台等を貸与し金の前貸もし飲食物を提供し料亭貸席より検番を通じ芸妓に口がかかる場合は名指以外は自己の裁量により自家の家号の下にその所属の芸妓を宴席に出向させ各芸妓の玉代なども自家の家号名義で検番を通じて受領しこれら芸妓の収入から前記の看板料を徴し、これを営業収益として経営しているものであること、及び被告人が本件置屋と芸妓との関係が叙上のようなものであることを知りながら、原判示のように判示各置屋よりの求人及び各芸妓よりの求職の申込を受けて、その間に立つて前記関係の成立をあつ旋し、それぞれ芸妓を置屋に住込ませ、その報酬を得たものであることが認められる。而して叙上によつて明かなように本件芸妓置屋営業の実体は、料理店等芸妓需要者側の注文に応じて自家住込の芸妓の労務を遊客に提供し、芸妓をしてその対価を獲得させ、そのうちから一定の金額を看板料または下宿料等の名義で徴収してこれを収益とする営業であり、一方本件芸妓は前記のように置屋の有形無形の経済的な力に依存し、これによつて注文に応じて客席に侍して諸般の労務に服することによつて置屋の右営業内容を充足することを職業とするものであるから、(本件置屋と芸妓との関係が単に下宿屋と下宿人との関係に過ぎないとする原審証人青島佐喜子及び同時田むめの各供述部分は前記他の証拠と比照して到底採用することはできない。)このような芸妓の職業形態は、置屋のために労務に服することに外ならないものというべく、置屋と芸妓との以上のような関係は、職業安定法第五条に所謂雇用関係に該当するものと認めるのが相当である。もとより同法に所謂雇用関係は所論のように必しも民法第六百二十三条にいう雇用契約と同一に解すべきものではなく、また雇用関係における被用者は隷属的又は従属的労働者もしくは労働基準法に所謂労働者に限定するいはれはなく、労務が直接使用者に提供され、その対価が相手方自身の計算において支払われることを要するものでもない。

論旨は芸妓は日常の起居、外出、客の選択等いずれも自由であり、自ら所得税を納めていることから見ても置屋との間に使用従属の関係はないから、被告人の所為は職業安定法に所謂雇用関係のあつ旋に該当しない旨主張するのでこの点について考察するのに、本件芸妓が所謂「丸抱え」または「分け」もしくは「稼ぎ分」と称する制度の下に置屋に対し隷属的労務に服するものであるとの証拠はなく、また、芸妓は所論のような自由を持ち、個個の労務に服するや否やの自由が置屋に拘束されることなく、自ら所得税を納めていること(前記証拠によれば芸妓の所得税は置屋組合において予め差し引いて納入するものであることが認められる)等は前記説明により明かなように本件置屋との間が雇用関係たることを認める何等の妨げとなるものではない。原判決が被告人の判示所為を職業安定法第三十二条第一項第六十四条第一号に該当するものとして処断したことは結局において正当であるといわなければならない。もつとも原判決は弁護人の雇用関係否定の主張を排斥するにあたり、職業安定法第五条第一項に所謂雇用関係とは一般社会通念上使用従属の関係ありと認められる場合を包含し、芸妓と置屋との間に従属関係があると見るのを相当とする旨の説明をしていることは所論の通りである。

而して、原判決の用いた使用従属が前記のような意義を持つているものと解するならば原判決にはその点において事実の誤認及び法令の解釈の誤りがあるというべきであるが、たとえ右のような事実の誤認または法令の誤解があつたとしても、原判決は結局本件芸妓及び芸妓置屋の関係を職業安定法にいう雇用関係に該るものとして被告人の有料職業紹介の所為に対し、職業安定法の前記各条項を適用処断したものであるから、判決に影響を及ぼすものとは認められない。原判決には所論の如き事実の誤認もなく又法律の解釈をあやまり適用すべからざる法条を適用した違法はない。論旨は全て理由がない。

よつて本件控訴は理由がないので刑事訴訟法第三百九十六条を適用し之を棄却すべく主文の通り判決する。

(裁判長判事 谷中董 判事 荒川省三 判事 福島昇)

弁護人柳沼作己の控訴趣意

第一、原審判決は法律の解釈を誤つた違法がある。

原審判決によれば職業安定法第五条第一項に所謂雇用関係と称するのは"りと認められる場合をも包含指称するものと解すべきであると判示し尚"と云うからには、そこに使用従属の関係があるのは蓋し当然であつて、民法第六百二十三条以下の規定による雇用関係以外に果して別箇の雇用関係なるものが存在するであろうか。即ち職安法第五条第一項に謂う雇用関係は民法第六百二十三条以下に謂う雇用関係換言すれば当事者の一方が相手方に対し労務に服することを約し、相手方が之に其報酬を与うることを約すことによつてその効力を生ずるものなのである。原審判示によれば民事上の雇用関係以外に別に雇用関係が存在するかの如き感を懐かせるのであるが、果してそれがどうゆう内容の雇用関係なのであろうか、労務に服さない雇用、或はそれに対する報酬を支払わない雇用を想定しているのであろうか、しかしそれ等は如何なる意味に於ても雇用ではないのである。職安法第五条第一項に謂う雇用関係が以上の意味のそれだとすれば実際問題として、芸妓は置屋に対して果して労務の提供をやつているであろうか、そして又置屋が芸妓に対して報酬を与えているであろうか、原審各証人の証言に照し、逆に芸妓の方から所謂下宿代(看板料、食費、部屋代)を支払つており、そこに何等の雇用関係も見られないのである。強て謂うならばむしろ雇用関係は一時的ではあるが、芸妓とお客との間に存するのである。

第二、原審判決は事実誤認の違法がある。

原審判示によれば、芸妓は所謂検番、置屋なる組織を通じてのみその職業に従事し得る実情であると述べているが、これは全くの誤りである。現に銀座方面には芸妓が五、六人一軒の家を借り電話一本を引き自由に座敷に出ているのである。又自宅から直接座敷に出る芸妓もいる。必ずしも検番なり、置屋を通じなくとも、その営業が出来るのである。唯、置屋、検番を通した方が仕事にありつく機会も多く、金銭の支払面等で便利であるからに過ぎない。尚原審は芸妓は検番、置屋を通じてのみその職業に従事し得るのであるからその間に従属関係ありと認むるのを相当とすると述べているが、従属関係のないこと原審証人の証言に照し日常の起居、外出、客の選択の自由、税金の支払等何れも芸妓自身でやつていることでも明白であろう。従属関係は戦前のことであり、戦後は絶対許されないのである。仮に百歩を譲つてその間に従属関係があるとしても、前記第一の如く芸妓が労務を誰に提供し、誰からその報酬を貰つているのであろうか、置屋に対する労務の提供でもなければ、又それからの報酬を何等得ておらないのみならず、逆に芸妓の方から置屋に支払つているのである。要之原審は先に結論を出して置いてそれに理由をつけたかの如き感を与えるのであつて戦後の芸妓の実態を誤認したものと謂わざるを得ないのである。芸妓は如何なる意味に於ても置屋の使用人ではないのである。そしてそのことは戦後絶対に許されないのである。従つて若し、裁判所が芸妓対置屋の間に雇用関係の成立を認めるならば、他方において禁じておきながら実に相矛盾した結果になつてしまうのである。換言すれば雇用関係が存在してもいいことになり、これが引いては戦前の身分的支配関係にまで発展する危険性が多分に存するのである。違法な行為を裁判所が認めることは蓋し許されないであろう、芸妓は正に自由であり(この点所謂特飲街の女給とは全く異る)置屋との間には如何なる意味においても、雇用関係は存しないのである。原審は当然破棄さるべきものと信ずるのである。若し芸妓と置屋の間に雇用関係ありとすれば芸妓は労働基準法第六十二条により深夜業としても午後十時若しくは特別の場合でも十一時までしか労働即ち座敷に出られないことになりその他各種の制限が附せられる筈であり、又税金も源泉徴収でなければならない筈である。これが果してどうであろうか。

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